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2007年1月31日 (水)

★どこでも自分は高められる5★

★どこでも自分は高められる5★


私のいう修行とは、他力ではなく自力で
求めるということです。

自力によって、生活意識を高め、人間的価値を
高めるのです。

基本的に人間というものは、
幸せを願うことは知っていても、

自らを高めることは願わないものなのです。

幸せを願うことと、自らを高めることを願うことは

「願う」という点においては同じかもしれませんが

幸せを願うというその考え方の裏側には

現実のつらさ
苦しさ
厳しさ

から逃げたいという「逃避願望」が込められて
いるのです。

そこを間違ってはいけません。

苦しいと思っている現実こそ、人間としての価値を
磨き高めるために与えられた場であり

そのことこそ最大に重要なことと気づくべきなのです。

つづく・・・

2007年1月30日 (火)

★どこでも自分は高められる4★

★どこでも自分は高められる4★

人間は様々な環境の中で生きています。

前世から与えられた環境、
今世に自ら作り上げた環境

と、それは複雑な様相を見せています。

貧乏で困っている人もいれば、
病気で悩んでいる人もいるでしょうし

あるいは

人間関係に苦しめられている人も
いるでしょう。

しかし

その環境は自分が目覚めることによって

スタート台へと変化するのです。

そのときから

自分という人間を磨き高めるために
与えられたひとつの場

チャンスなのです!

それは修行の形として与えられて
いるのだ!

というようにとらえることが必要なのです。

つづく・・・

2007年1月29日 (月)

★どこでも自分は高められる3★

★どこでも自分は高められる3★

ところが

現代は、なんとなく的な人間が多いのです。

なんとなく育ち、

なんとなく学校に通い、

なんとなく就職して、

なんとなく結婚して、

なんとなく子供ができて、

なんとなく年老いて、

なんとなく人生を終えていく

というパターンなのです。

そして

死後に待ち受けているのは・・・

後悔なのです。

霊性の目覚めという場合には
霊意識の中に入って知る という方法も
ありますが

一般的にいう目覚めは

人間がこの世に生まれてきた使命と目的を
感じ取ることにあるのです。

人間が本当に自分を高めることができるのは

「この現実に生きている時にしかチャンスがない

今がそのチャンスであり、今がその時なのだ!」

ということを知ることなのです。

つづく・・・

2007年1月28日 (日)

★どこでも自分は高められる2★

★どこでも自分は高められる2★

なぜ自分は今、この仕事をしているのか??

何のためにやっているのか??

何を求めて仕事をするのか??

といった問いを、しっかりと自分の中に
打ち出さなければならないのです。

これが超知性を目覚めさせるきっかけと
なるのです。

そうした意識も育てずに、

ただ機械的にタイムカードを押し、
一日をなんとなく終え、
一生をなんとなく過ごしていくのでは

この世に生きてきたという証にすらならない
のですから。

そこに欠けているものは・・・

自分自身の「生」に対しての「なぜ」

要するに問いなのです。

仕事に対する疑問であっても
すべては自分自身の「生」に対しての疑問
なのです。

つづく・・・

2007年1月27日 (土)

★どこでも自分は高められる1★

★どこでも自分は高められる1★

仕事と一口に表現しても様々な種類が
ありますが

基本的には仕事には貴賎や上下は
ありません。

いわば

ある人は教員という立場の中で
自分を高める生き方ができるでしょうし

ある人は公務員という立場で
自分を高める生き方ができるはずです。

また

ある人は独立自営の職業の中で
自分を高めることができるのです。

皆それぞれが、その立場の中で
自分の価値を高める生き方が可能なのです。

ところが・・・

そのような意識が持てないと

すべてはうまく働かなくなり、

生き方どころか生きる意義さえも失って
生命を絶つ結果を招く恐れも充分にあるのです。

自らの意識を高めようとするならば・・・

つづく・・・

2007年1月26日 (金)

★超知性を呼び戻す4★

★超知性を呼び戻す4★

具体的に言うならば

人間は生きるために仕事をしなければ
なりません。

生きるためには経済的基盤が必要だから
です。

そのためには
仕事をして、金銭を得なければなりません。

すると

この仕事の場とは一体何か??

ということになります。

あるいは
働く行為とは何か??

ということになります。

生きるための手段かというと、そうでは
ないのです。

働くという行為は、人間としての価値を
磨き高めるための場とチャンスをそこに
与えられたということなのです。

ここをしっかりととらえておかないと

仕事の意味を見失い、あらぬ方向へ
自分を進ませてしまうことになるのです。

つづく・・・

2007年1月25日 (木)

★超知性を呼び戻す3★

★超知性を呼び戻す3★

しかし

正確には答えられないにしろ、

私たちは一生の間に何度かこうした疑問を
自分自身に問いかけた経験があるはずです。

だが

それは若い時期、多感なころの単純な疑問と
して、片付けられたことでしょう。

せっかく超知性と交感できるチャンスが
ありながら

そうした問いを持続させられないのです。

そして

常識という狭い物の見方ひとつで
ただ生命を無意味に消費してきたのです。

超知性を磨くということは

私たちの霊性を目覚めさせることなのです。

この霊性を理解するためには

再度、私たち人間がどのような使命と目的を
持って、この世に存在してきたのか?

それを問わなくてはなりません。

つづく・・・

2007年1月24日 (水)

★超知性を呼び戻す2★

★超知性を呼び戻す2★

私たちに内在する「超知性」は
偉大な能力を持っています。

持ってはいますが

それに私たちが気づいていない
だけなのです。

人間は人間らしく生きることが
基本です。

自己の可能性を信じ、自分の能力を最大限に
発揮し

自己価値を活かして生きることが大切なのです。

けっして

自己を否定したり、自己放棄をしてはいけない
のです。

「超知性」を始動させるためには

まず、自分自身の存在、生き方、「内なる心の声」

つまり

「内面意識」に向かって冷静に問い掛けてみること
なのです。

●「私たちはなぜ、ここに生まれてきたのか」
●「私たちはなぜ、ここにいるのか」
●「私たちはなぜ、生きていくのか」

もちろん、答えられないのです。

いえ、長い人類の歴史の中で、この問いに対して
正確に答えられる者はいないはずなのです。

つづく・・・

2007年1月23日 (火)

★超知性を呼び戻す1★

★超知性を呼び戻す1★

常識で考えられるものを私たちは

「知性」

と呼びます。

これに対して、内面意識を「超知性」

と私は呼びたいのです。

「知性」は人間という肉体が創りだした
ものですが

「超知性」は霊体意識という宇宙の意識から
発するものだからです。

さて

私たちは、この「超知性」を表面意識へ
呼び起こすにはどうすればいいのでしょうか?

その方法は実に簡単なことなのです。

「なぜ」という問いを自分自身に発すれば
いいのです。

人間の進歩は、一般に言われるように

道具の使用方法を発見したことや、火の使用方法を
発見したためではありません。

道具の前で、火の前で、人間は

「なぜ」の問いかけの積み重ねによって進歩して
きたのです。

もちろん

これは「超知性」を活用するひとつの方法に
過ぎません。

表面意識で問題を片付けるのではなく

「なぜ」と問いかけて、内面意識を刺激して
活性化しただけのことなのです。

つづく・・・

2007年1月22日 (月)

★真実はよく見えない3★

★真実はよく見えない3★

私たち人間が、本当の「生き方」
真実の「死後」を知ることは難しいのです。

単純な法則だけに、理解してしまえばすべてのことが
手にとるようにわかり

確かな人生を送れることは間違いないのですが

掛け違えた法則のボタンを一気に直すことは
非常に大変なことなのです。

たとえば

ここで私が神仏は存在しない といったら

あなたたちは素直に信じるでしょうか?

または

お経を唱えても、何の効験もない といったら

どうでしょうか?

あるいは

神はあなた自身だ といったら

いかがでしょうか?

「そんな馬鹿なことはあるものか!」

と反発するに違いないのです。

単なるボタンの掛け違えといっても、古代より
常識化してしまっている考え方を改めさせるには

困難がつきまとうのです。

天動説をくつがえそうと苦悩したアリスタルコスや
コペルニクスのように

真実は常識に疎外されるのです。

つづく・・・

2007年1月21日 (日)

★真実はよく見えない2★

★真実はよく見えない2★

先に述べた10万円の借金の例でこれを
説明するならば

自身が前世で残した因縁的な借金を
現世の私たちが背負っている

ということなのです。

自分の借金が残されていたのなら

現世の私たちは、汗水たらして返さなければ
ならない義務があるのです。

死ねばすべて終わり・・・

ではないのです。

ただし

金銭的な借金ならば返す算段もつくでしょうが

因縁的な借金を返す方法(法則)を知らないため

いつまでも人間は子孫に向けて借金を残すことに
なります。

それどころか・・・

代を重ねるごとに、借金はふくらみ
ついには、破産宣告を受けるはめになってしまう
のです。

つづく・・・

2007年1月20日 (土)

★真実はよく見えない1★

★真実はよく見えない1★

私たちは「因縁」という言葉を聞くと

悪いことばかりを連想しがちなのですが・・

必然の世界と同じであると考えれば
それほど扱いづらいものではないはずです。

しかし

残念なことに、人間は法則のボタンを掛け違えた
ことにより

この「因縁」に振り回されて、本来あるべきはずの
健康で豊かな生活、価値ある人生をエンジョイでき
ないでいるのです。

また

「因縁」の結果の現れる「因果」についても

同様に、私たちは何の手だてもなく、影響を受けつづけて
いるのです。

私たちの生命は、祖先から受け継がれて、現在ここに
存在しています。

それと同じように、祖先からの因縁・因果も受け継いで
いるのです。

つづく・・・

2007年1月19日 (金)

★存在理由を知らない悲劇9★

★存在理由を知らない悲劇9★

だが、

それらは確実に存在します。

大地に立てば大空があり、星が、太陽があります。

下には、何千、何億年の歴史を秘めた地層が重なり
微生物が天文学的な数字で生きています。

そして

それらは私たちと深くかかわりあっているのです。

たとえ、私たちが知り得なくても
様々な世界が存在し

その世界はまた、必然の法則の中で
私たちと多くの関係を結び
影響を与え合っているのです。

要するに

これは因縁の世界にあるのです。

つづく・・・

2007年1月18日 (木)

★存在理由を知らない悲劇8★

★存在理由を知らない悲劇8★

たとえば

私たちは、目に映る世界は確認できても
背後にある隠れた世界は確認できません。

どのような事態が起きても、知ることは
不可能なのです。

私たちがとらえられる世界というのは
その程度のものなのです。

しかし

背後の世界もまた、目に映る世界と同様に
確かに、存在しているのです。

身近なものでいえば・・・

室内に流れる微妙な風、様々なものが作り出す音、
物体が生み出すいろいろな香り、

これらは確かに私たちの近辺に存在しているのです。

しかし

そこにありながらも、私たちに知覚されない限り
私たちには無い存在として扱われてしまうのです。

つづく・・・

2007年1月17日 (水)

★存在理由を知らない悲劇7★

★存在理由を知らない悲劇7★

法則は単純なだけに、一歩あやまると実に
恐ろしい結末を現象化させてしまうのです。

科学が悪いのではないのです。

管理する人間が法則に対して、無知と鈍感な
だけなのです。

また

目に映る世界、目に映らない世界の中でも
同様に必然の法則は動いています。

私たちは目に映るもの(在るもの)しか
信じられないようですが

しかし

目に映らない世界もまた、私たちが信じようが
信じまいが、存在しているのです。

私たちが日常とらえている世界は実に微々たる
ものなのです。

肉体の五感で得られる世界には限界というものが
あり、それだけを頼りに思考していても、絶対的な
答えなどはでてきません。

逆に

五感だけを頼りにしていると

大きなミスを招く原因をつくってしまうのです。

つづく・・・

2007年1月16日 (火)

★存在理由を知らない悲劇6★

★存在理由を知らない悲劇6★

科学は偶然を頼りにするものではなく

きわめて、必然の世界に近いものなのですが

しかし

そこに期待という希望的観測が入り込むことに
よって

大空を安全に飛ぶべき物体はものの見事に
空中分解の惨事に見舞われるのです。

確かにスペースシャトルは何十回と成功して
大空を飛びました。

だが、何十回飛んだとしても、飛ぶ法則は初回と
何も変わっていないのです。

ところが

何十回も飛んだという実績は、人間の心に期待と
願望を芽生えさせるのです。

「飛ぶだろう」という期待と願望は、点検をおろそかにし、
法則をカンタンに見落とさせてしまいます。

これがスペースシャトルを空中分解させてしまうのです。

その事故のたびに
人間は「科学は恐ろしい」と声を上げますが

実は

一番恐ろしいのは

法則を見落とす人間の心の甘えと弱さなのです。

つづく・・・

2007年1月15日 (月)

★存在理由を知らない悲劇5★

★存在理由を知らない悲劇5★

必然の世界は、私たちの都合で生まれてくる期待感
などで左右されることはありません。

自己の行動に対して、いかなる現象が現れるかは
その行動と価値観の意識の在り方によって決定される
のです。

すべては、きちんと説明できるようになっているのです。

人間というものは、物事に対して大きな期待を寄せる
クセがあります。

しかし

期待とは・・

本来、自分勝手な希望・願望であって、物事を正しく
現象化させる能力はありません。

逆に

期待という依頼心が強くなることによって、自己の能力を
最大限に活かすことができなくなる恐れがあるのです。

たとえば、近代科学の結晶と言われたあのアメリカの
スペースシャトル事故などは、そのよい例といえる
でしょう。

つづく・・・

2007年1月14日 (日)

★存在理由を知らない悲劇4★

★存在理由を知らない悲劇4★

現在、本当に自分の生き方に満足している人は
皆無でしょう。

生きることが「人生」でありながら、人々は
満足した人生を過ごせないのです。

なぜか・・・

それは、自分の存在理由を知らないからなのです。

「生」も「死」も知らない人間に、自分の存在理由
などがわかるわけがないのです。

そのために

人間の歴史は、むなしい一生を繰り返し続けるための
歴史となっているのです。

私たちは様々な経過を通して、現在ここに存在している
のです。

これは偶然でも何でもないのです。

宇宙万有の法則から眺めれば

偶然などという言葉はないのです。

この言葉は、何もわからない人間が生み出したもの
であって、

宇宙はすべて一分一秒とも狂わない必然の中で
存在しているのです。

私たちはその必然の中で今を生きているのです。

つづく・・・

2007年1月13日 (土)

★存在理由を知らない悲劇3★

★存在理由を知らない悲劇3★

賭け事に熱中するクセ
などは、そのよい例といえるでしょう。

彼らは夢を買うなどといって自分の本心をはぐら
かしているのですが

根底では勝つことを期待し、自己の能力によって
得る本来の自分の価値を放棄してしまっているのです。

世の中が、他人を助けてくれるような錯覚、甘えに
振り回されることになるのです。

彼らから見た世間とは

実に自分の思い通りにならないものなのです。というより

法則を知らないがために、すべてを狂わせてしまって
いるのです。

法則は単純なだけに、ひとつ間違えるとボタンのはめ違い
のように、永遠にかみ合うことなく続いてしまうのです。

その間違いは、人類の歴史が始まるころからすでに
狂いだしていました。

甘えを容認し、他力に依存することを良しとした
「他力依存の思想」は

人間が共同生活をする上で必要不可欠なものとして
万人に受け入れられました。

しかし

その人の人生は、その人以外のものではない

という法則を忘れて、ひとつの部品に仕上げられて
しまったわけです。

これが

人類最大の悲劇なのです。

つづく・・・

2007年1月12日 (金)

★存在理由を知らない悲劇2★

★存在理由を知らない悲劇2★

たとえば・・・

一銭の金も持ち合わせていない人が十万円
の買い物をしたとしましょう。

その買い入れの方法は、クレジット・カードでも
でもいいのですが。

もちろん、買い物の動機が正統であれ、衝動買い
であれ、それもかまいません。

しかし

どのような条件であっても、その十万円は借金として
残り、

これを汗水たらして返さなければならない義務が生じて
くるのです。

どのような事情で、どのような条件があっても、
そうした理由には一切関係がなく、

十万円の借金をすれば、十万円の能力を代償として
払わなければならないのです。

これが法則なのです。

もちろん、十万円という経済単位を、その人たちの能力で
とらえたときには、差というものが生じてきます。

人それぞれに能力は違っており、その能力に応じた
生活水準が定まってくるのです。

ところが

人間には、甘えや情けという感情があり、これが単純な法則
を複雑にしてしまっているのです。

思い当たらないでしょうか。

世の中がすべて自分の都合のいいように動くと考えて
しまうクセがあることを・・・

つづく・・・

2007年1月11日 (木)

★存在理由を知らない悲劇1★

★存在理由を知らない悲劇1★

私たちは、この社会の複雑な状況を

「ドロドロ」した

という言葉で表現することがあります。

同様に死後の世界においても、なにやら
ドロドロしたような雰囲気でとらえている。

とにかく何とも得体の知れない状況を
このような感覚で表現するわけですが・・

よくよく考えてみれば

これほどばかげた考え方はないのです。

死んでも何も変わらない

というように、実際は実にサッパリした単純明快な
法則で

この世も死後も動いているのです。

複雑にしているのは
「何もわからない」
人間たち自身なのです。

具体的な例を次にあげてみます。

つづく・・・

2007年1月10日 (水)

★死後の世界とは?7★

★死後の世界とは?7★

死後は別天地などではないのです。

けっして念仏によって犯罪者が仏になれるわけ
ではありません。

うそつきがお祈りによって天使になれるわけでは
ありません。

不正の者が寄付金によって神になれるわけでは
ありません。

金の亡者が信仰三昧によって天国にいけるわけ
ではありません。

死んでも何も状況は変わらないのです。

その時の自分が死後にもいるのです。

死んだからといって、何も変わりはしないのです。

「生」と「死」は

表裏一体なのです。

つづく・・・

2007年1月 9日 (火)

★死後の世界とは?6★

★死後の世界とは?6★

死後の世界に関する書物がよく売れていますが

こうした死後を美化する書物ほど危険きわまり
ないものはないのです。

死後がそのように別天地であるならば・・・

私たちは苦労して人生を70年、80年生きる意味が
ないでしょう。

本当にそうだというのなら・・・

誕生して早々に死後世界へ行けば、これほど
ハッピーなことはないでしょう。

もちろんそうした書物は、必ずといってよいほど

「一生懸命生きなければ、その世界には入れない」

と付け加えることも忘れてはいません。

しかし

何の根拠があって、一生懸命苦労して生きなければ
ならないのか

という点については、何も答えてはくれていません。

結局

死後をうまく語れたつもりでも、生きることについては
語ることはできないのです。

こうした書物が危険だというのは

死後の美化が死への誘いに転化してしまうから
なのですね。

つづく・・・

2007年1月 8日 (月)

★死後の世界とは?5★

★死後の世界とは?5★

自殺の動機を調べてみると

その多くは、苦痛からの逃避なのです。

生活が苦しい・・・
いじめられた・・・
失恋した・・・・
事業に失敗した・・・

すべてが、現世に失望したことばかりなのです。

そして

彼らは、「死」によって人生を完結しようと
行動するのです。

「死んでしまえば楽になる」
「苦しみのない世界に生きたい」
「死んだあとも生まれ変われる」

彼らが考えることは一様にして同じなのです。

自分の死後世界を都合よく考えてしまっているのです。

しかし

その考え方は、あくまでもその人の都合でしかない
のです。

勝手に解釈したに過ぎないのです。

つづく・・・

2007年1月 7日 (日)

★死後の世界とは?4★

★死後の世界とは?4★

私たち人間が犯している過ちは

「生」と「死」を区別して考えてしまうことなのです。

「生」と「死」は、日常の連続と同じように、繰り返し
ついてまわるのです。

これが俗に言う

「因縁と因果」のはじまりなのです。

最近は、青少年の自殺が問題になっていますが

こうした自殺を容易にしてしまうのは

「生」と「死」が別のものと考えたところに原因があるのです。

これは

青少年だけでなく、成人にも当てはまることなのです。

つづく・・・

2007年1月 6日 (土)

★死後の世界とは?3★

★死後の世界とは?3★

そのくらいに、堂々と自らの「死後」を
知らずに、歴史は流れてきたのです。

しかし

死を知らずして、「生」は語れないのも
事実です。

「死」に意味がなければ、「生」にも
意味はないのです。

この「生」と「死」の二つの問題が共通の言葉で
解ける論理こそ

真実の声である 

といえるのです。

少なくとも、私たちは、生きることに対しては
惜しみない努力を払いますが

やはり死後の世界についても、その情熱に比例する
ほどの問題意識を高める必要があるのです。

この問題は

二つに見えても、実は表裏一体、まったくひとつの
問題だからです。

つづく・・・

2007年1月 5日 (金)

★死後の世界とは?2★

★死後の世界とは?2★

一般に出回っている「死」についての
書籍類を見ると

人間は死によってすべてが完結する

という説と

死とは肉体と霊魂との離別である

という説の二つに大きく分けることが
できます。

しかし

死によってすべてが完結するという説は

霊魂を否定した仏教思想から始まっており

いわば、二つに分けられるといっても

要は

霊魂の存在を信じるかどうかの話なのです。

現代の科学で説明するところの「死」とは

肉体の機能停止、あるいは脳死という基準によって
判断が下されており

その以後のことについては何も触れられていない

というよりも

現代の科学のレベルでは、まだ究明できな部分なのです。

しかし

肉体の分野から離れた精神・心理学の分野では

霊魂の世界にまで研究は進みつつあります。

だが

多くの学者たちは、霊魂については

「あるかもしれないし、ないかもしれない」

という実にあいまいな表現で表現しているのです。

要するに

「死後世界」と「霊魂」については

「何もわからない」ということなのですね。

この「何もわからない」ことを基本に、

私たち人類は長い年月を費やしてきたのです。

まかりとおってきたといってもいいのです。

2007年1月 4日 (木)

★死後の世界とは?1★

★死後の世界とは?1★

私たちは「死」について、どれほどの知識を
持っているのでしょうか?

少なくとも、私たち人間は、

「必ず死ななければならない」

ことはよく承知しています。

しかし

承知していながら、その「死後」のことについては
何一つ知らないというのが、本当のところなのです。

「死後」を知っているならば

人間、これほどばかげた生き方をする者はいないでしょう。

私たちは「死後」の実態を知らないがために

今世に与えられた「人生という修行の場」をただ我欲・享楽
のために無意味に消化しているのです。

それでは

「死後世界」とは、一体どのようなところなのでしょうか?

次回へ・・・・

2007年1月 3日 (水)

★職場での気持が楽になるちょっとした心構え2★

新年明けましておめでとうございます!

本年もどうぞ素晴らしい日々をお過ごしなさいます
よう心からお祈り申しあげます。

どうぞ本年もよろしくご愛読くださいませ。

では

新年1回目は、前回の続きです。
「逆手の知恵」

不利は一方の側にだけ
あるものではないのです

不利な条件は、実は強力な武器になります。

「なんで私ばかりが・・・」

と行動する前から言い訳をする前に

自分に不利な条件があったら

それを逆手にとるくらいの意地と知恵を持つべきなのです。

自分の不利を知恵で克服したとき・・

相手に不利が生まれるのですから。

つづく・・

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